国内外で約68施設、正社員4,000名超を擁する星野リゾート。「星のや」「界」「リゾナーレ」「OMO」「BEB」の5ブランドを軸に、1914年創業の軽井沢の老舗温泉旅館から、日本を代表するリゾート運営会社へと成長を遂げてきた。その経営の核心にあるのは、「スタッフ一人一人が経営者の視点を持って事業に臨んでほしい」という代表・星野佳路氏の哲学だ。一般的なホテル業界では、稼働率、売上、費用、顧客満足度といった経営情報は経営陣の中だけで共有され、現場のスタッフには知らされない。しかし星野リゾートは違う。経営情報を全スタッフに公開し、誰もが経営判断できる文化を作り上げてきた。これは「フラットな組織文化」と「マルチタスクのサービスチーム」「立候補制マネジメント」といった独自の仕組みに支えられている。そしてその根底にあるのは、「経営の力をすべての人に」とも言える経営思想だ。本記事では、星野リゾートの管理会計を経営情報の全社公開、立候補制によるマネジメントの民主化、サービスチームというPLの最小単位、「源泉ブック」が支える価値観の共有の4つの視点から解説する。星野リゾートの組織と経営の特徴出典:https://hoshinoresorts.com/jp/recruit/strategy/https://hoshinoresorts.com/jp/recruit/career_path_system/https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/802691. 「経営情報を全スタッフに公開する」─ 透明性が当事者意識を生む星野リゾートの管理会計上の最大の特徴は、経営情報の徹底した社内公開にある。一般的なホテル業や旅館業では、稼働率、売上、費用、顧客満足度といった経営指標は、経営陣や一部の管理職だけが見るものとされる。現場のスタッフは「自分の仕事をこなす」ことが役割であり、経営数字は「経営者の世界」のものだ。星野リゾートはこの常識を採用していない。経営情報を全スタッフに提供し、誰もが情報を得やすく、話しやすい環境を作っている。星野代表は「スタッフ一人一人が経営者の視点を持って事業に臨んでほしい」と語る。そしてそのための前提条件として、経営情報そのものを全員に開示するという選択をしている。一般的なホテル業 vs 星野リゾートの情報公開なぜ経営情報の公開がそれほど重要なのか。星野リゾート採用サイトのインタビューでは、コロナ禍において代表の星野佳路氏が「ユーモアを交えて自社の倒産確率を社内ブログで発信し、現状を伝えた」というエピソードが紹介されている。「どのような状況でも経営情報が共有されることで、全国の社員は必要とされる行動を自ら考え頑張ってこられた」と人事担当の鈴木氏は語る。倒産確率という、通常なら経営トップだけが扱う極めてセンシティブな情報まで、社員に共有する。これは「情報の機密性」よりも「社員が現状を正しく理解して、自ら考えて行動できる状態」を優先する経営判断だ。管理会計の観点から見ると、これは経営情報の徹底した透明化が、結果として全社の意思決定の質とスピードを上げる仕組みになっている。経営陣だけが情報を持っていれば、判断は経営陣の数だけしかできない。情報を全員が持てば、判断は全員の数だけできる。星野リゾートはこの「情報の民主化が意思決定の量と質を増やす」という原理を、組織運営の基盤に据えている。参照星野リゾート 採用サイト「経営戦略」:https://hoshinoresorts.com/jp/recruit/strategy/bixid「星野リゾートの強いチーム創りとは」:https://bixid.net/Blog/Article/20210419早稲田ウィークリー「星野リゾート 人事グループに直撃インタビュー」:https://www.waseda.jp/inst/weekly/news/2022/06/20/98268/2. 立候補制マネジメント ─ 数字に責任を持つ人を「選挙」で決める経営情報を全員に公開しても、それを活用する権限と責任が一部の人に集中していれば、組織は変わらない。星野リゾートのもう1つの特徴は、マネジメント職の立候補制だ。星野リゾート採用サイトでは次のように説明されている。「マネジメントを目指す方にとっても、今はマネジメントに興味がない方にとっても、星野リゾートの立候補プレゼン大会はとてもユニークな仕組みです。施設や組織の戦略を考え、立候補プレゼン大会でプレゼンテーションすることでマネジメント(総支配人やユニットディレクター)を担うことができます」入社2年目以降の社員であれば誰でも、ユニットディレクター(UD)や支配人に立候補できる。立候補者は、組織運営の目標や戦略を全社員に向けて発表する「立候補プレゼン」を行い、社員の評価をもとに判断される。さらに「立候補しなくても、戦略を聞いてアンケートに回答することで、自分のチームのリーダーを選出するプロセスに参加できる」。一般的な昇進制度 vs 星野リゾートの立候補制この仕組みは管理会計の観点から見ると重要な意味を持つ。PLに責任を持つ人(=マネジメント職)を、組織自身が選ぶということだ。一般的な企業では、PLの責任者は上位の役職者が指名する。星野リゾートでは、責任者になりたい人が手を挙げ、その人の戦略を社員が評価する。経営情報を全員が見られる状態(セクション1)と、マネジメント職を全員が選べる状態(セクション2)が組み合わさることで、「経営判断ができる人材」が組織のあらゆる階層から自然に発掘される構造になっている。情報を見て、戦略を考え、立候補し、選ばれる。この一連のプロセスを経験することで、社員は「自分が経営している」感覚を持つようになる。参照星野リゾート 採用サイト「CAREER PATH SYSTEM」:https://hoshinoresorts.com/jp/recruit/career_path_system/flier「トップも知らない星野リゾート 要約」:https://www.flierinc.com/summary/15423. サービスチーム ─ PLの最小単位としてのマルチタスクチーム星野リゾートの組織を支える3つ目の仕組みが「サービスチーム」だ。これは管理会計上「PLの最小単位」として機能している。星野リゾート採用サイトによれば、サービスチームの特徴は「運営に関わるすべての業務を分断せず、商品開発(構想)から商品提供(実行)まで一貫して担当すること」だ。具体的にはフロント、レストランサービス、客室清掃、調理という基本業務をマルチタスクで行う。一般的なホテル業界では、業務は職能ごとに分断されている。フロント担当はフロントだけ、清掃担当は清掃だけ、料理人は調理だけを担当する。それぞれの職能ごとに最適化が図られ、効率を追求する。一方、各職能が縦割りになるため、「お客様全体への価値」を統合的に設計する人がいなくなる。職能別組織 vs サービスチームサービスチームがPLの最小単位として機能する点は重要だ。「自分のチームの数字」が見えれば、自分の判断で改善できる。フロントで聞いた顧客の声を、その日のうちに清掃の改善に反映できる。レストランで観察した顧客の好みを、翌日の客室の演出に活かせる。職能で分断されていれば「他部署の問題」だったものが、サービスチームでは「自分の問題」になる。星野リゾート・リート投資法人の資料では、サービスチームについて「マルチタスクはフラットな組織に依存し、フラットな組織はマルチタスクであることで維持される」と説明されている。情報公開、立候補制、サービスチームは、それぞれが独立した仕組みではなく、互いを補強する「補完関係にある活動」として機能している。参照星野リゾート 採用サイト「経営戦略」:https://hoshinoresorts.com/jp/recruit/strategy/星野リゾート・リート投資法人「星野リゾートの今と未来」:https://www.hoshinoresorts-reit.com/ja/special/future_vol1.html4. 「源泉ブック」と麓村塾 ─ 数字を見せるだけでなく、価値観で動かす経営情報を全社に公開し、立候補制でマネジメントを民主化し、サービスチームでPLを最小単位化する。しかしこれらの仕組みだけでは、組織は機能しない。情報を活かす価値観と、判断する力を育てる仕組みが必要だ。星野リゾートは2つの仕掛けでこれを実現している。1つは行動指針冊子「源泉ブック」、もう1つは社内ビジネススクール「麓村塾(ろくそんじゅく)」だ。源泉ブックには、以下の6つの価値観が明文化されている。源泉ブックの6つの価値観星野リゾートの採用サイトに掲載された人事担当者のインタビューによれば、「経営陣が決めた価値観を日々のオペレーションに落とし込み、どのような行動が星野リゾートらしいのか、大事なのか。源泉ブックの見直しも年に一度行っています」。形骸化を防ぐため、毎年見直しが行われ、社内のイントラネットでもいつでも見られる状態になっている。もう1つの仕掛けが、2002年から続く麓村塾だ。Japan Innovation Reviewのインタビューによれば、麓村塾は「ビジネスモデルを転換した当初、顧客満足度向上と収益の確保を両立した施設運営を担える人材の育成が急務」となった背景で設立された。現在は年間100〜150の講座が運営されており、マーケティング、戦略立案、組織マネジメントから、ワイン、温泉、地域文化まで幅広いテーマを扱う。麓村塾の3つのユニークな特徴:自由参加(強制ではない)業務外(給料は発生しない、自分の休日や時間を使う)講師は社内の社員(総支配人や専門知識を持つ社員が担当)麓村塾は業務外・無給での参加が原則であり、学びは「与えられるもの」ではなく「自ら時間と労力を使って獲得するもの」という思想が貫かれている。この源泉ブックと麓村塾が、管理会計の仕組みに「魂」を入れている。経営情報を公開しても、それを「自分ごと」として行動する価値観がなければ、ただの情報共有で終わる。判断する力を育てる学びの場がなければ、情報を活かせない。星野リゾートの30年は、仕組み(情報公開・立候補制・サービスチーム)×文化(源泉ブック・麓村塾)の両輪で経営の民主化を実現してきた歴史だと言える。参照doda「星野リゾート採用のポイント」:https://www.dodadsj.com/content/201229_seminar_hoshinoresorts/Japan Innovation Review「星野リゾートが麓村塾を続ける本当の狙い」:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80269厚生労働省「株式会社星野リゾート・トマム 多様な正社員制度の導入事例」:https://part-tanjikan.mhlw.go.jp/navi/cases/case_0076/まとめ ─ 経営情報を「経営陣だけのもの」から「全員のもの」へ星野リゾートが30年以上かけて実証してきたのは、経営情報の公開と権限の民主化が、企業の競争力になるということだ。稼働率、売上、費用、顧客満足度を全スタッフに公開する。マネジメント職を立候補制にする。マルチタスクのサービスチームをPLの最小単位にする。源泉ブックで価値観を明文化する。麓村塾で判断する力を育てる。これらの仕組みが組み合わさることで、約4,000名の社員が「経営者の視点」を持つ組織が成立している。一般的な企業では、経営情報は「機密」として扱われる。「現場が経営の数字を知る必要はない」「下手に共有すると外に漏れる」「数字を見せても理解できない」。こうした暗黙の前提が、組織を「経営陣と現場」の二層に分断している。星野リゾートが示しているのは、この前提を覆せば、組織はもっと強くなれるということだ。すべての企業が星野リゾートのような立候補制を導入できるわけではない。しかし、「経営情報を誰にどこまで公開するか」を問い直すことは、どの企業にも当てはまる原則だと考えられる。経営の数字を経営陣だけのものから全員のものへ。その一歩が、組織の在り方を変える起点になる。免責事項本記事は、株式会社星野リゾートの公式WEBサイト、公開インタビュー、公開済み報道記事等の公開情報を基に、同社の経営管理の考え方を整理・考察したものです。記載内容は一般的な情報提供および学習の補助を目的としており、株式会社星野リゾートまたはその関連会社による公式な見解・手続・社内文書を示すものではありません。正確性・完全性・最新性について保証するものではなく、本記事の情報に基づく意思決定・行動によって生じたいかなる損害についても責任を負いません。